メディア・ウォッチ(ジンバブウェ編)

2010年1月11日 (月)

メディア・ウォッチの頁も見てください

 新年になって、ジンバブウェ記事、載りませんね。でも、年末にジンバブウェドルの新札を売っているという新聞広告がありました。いわく、「驚愕の紙幣、100兆ジンバブエドル緊急輸入!」というタイトル。

091221_090801  これが最近新聞紙上で見たジンバブウェかと思うと、ちょっと悲しいです。すみません。ちょっと小さな写真で。携帯壁紙サイズでとったもので・・・。いや、こんな広告の写真はっつけてどうする?という感じでありますが・・・。

 メディア・ウォッチの頁、あまり更新していないので肩身が狭いのですが、ブログ(事務局便り)のほうで、ブログだけ更新しています。

 今日は、毎日新聞に欧州の移民排斥の動きが報道されていました。こちらのブログも診てくださいね。DADAサイトの表紙の下のほうに貼ってあります。(お)

こちらのクリックをお願いします↓

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 8日 (金)

11月13日 実感

毎回到着してすぐにすることは、新聞を読むこと。今回はいつもお世話になっている方が前回いた後の新聞をすべてとっておいて!くださったので、この間の動きがより判るようになりました。ウェブサイトから見られると言っても、やはり、こうして紙で読むほうがよりストレートに情報がはいってきますよね。若い人は新聞読まないとか、新聞は不要だという声が多いですが、いやぁ、そんなことないと思うんだけどなぁ。

しかし、今回新聞を見て最初に思ったのは、写真のこれ。
20091113b 20091113_2

そうなんです。値段のところ。ジンバブウェドルの表記が消えてしまっているのです。
前回、前々回(去年)から実際に使っているのは外貨ということはわかっていたのですが、こうして目の当たりにすると、こんなになっちゃったんだなぁとため息がでます。
タイム誌とかニューズウィーク誌とか、全世界で売られている雑誌はこういう表記がしてありますが、こちらの新聞の場合は意味が違う。全然インターナショナルなんかじゃないよ~と、ちょっと哀しくなりました。

帰国したら、もともとのジムドルの表記があった古い新聞を取り出して値段のところ写真アップしますね。

さて、写真にある新聞の記事は、MDC党員ロイ・ベネット氏の訴訟についてです。
この人が何者か?ということも含めて、色々ニュースを読んだので、次の機会にお伝えしたいと思います。

ところで、雨ですが、おととい「やった~!雨季だぁ!」と思ったのもつかの間。すぐに止んで昨日の午後からまたまた晴天の日が続いています。洗濯物は乾くからありがたいですが(Pさんありがとう!)、雨降らないと困るんですけど・・・。

(お)

こちらのクリックをお願いします↓

にほんブログ村 海外生活ブログ アフリカ情報へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月11日 (水)

ジンバブエ まとめ (雑談)

このブログの頁に来ると、右下に、時々ですが、検索フレーズランキングというのが載ったりします。載ってないときもあるので、そのときは、誰も検索してないということでしょうかね?

で、本日のランキング。

検索フレーズランキング

 ジンバブウェまとめ!?こういうので検索かけてくる人っているんだぁと感心。でも、まとめちゃわないで、まだまだこれから先があるんだから・・・。
 そういえば、最近、「ジンバブエ」での検索が増えているんだという気がします。でも、その割には、載っている情報がちょっと・・・。たとえば、よく使われている「札束を抱えて買い物に行く」という写真は、もしかしたら2005年前後の写真かもと思いますし、この間、あるテレビ局の動画での、街中の様子は、半年暗い前にテレビで流れた動画とそっくりでしたし・・・。
 いや、確かに、メディアが注目してくれることで、あの国の問題、特にコレラとか食料不足とかに支援が来るとすれば、それはとても嬉しいことですが、でも、よりアップデイトされた情報でお伝えしてくれと思うのですが・・・。
 雑談でした。
DADAホームページTOPはこちら→http://dada-africa.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月29日 (金)

R25

 今週のR25ご覧になりましたか?

 なんと、表紙に「ジンバブエ 超インフレの理由と実情」というのがあるではないですか?

 ひぇ~、ついにR25まで載ったか!?と思って、読んでみたら、別に特集とかではなくて、いつものあのA4半分の頁にあるいくつもの記事の一つだったのですが、それでも、これが、表紙の主な目次という場所に挙げられるほど、知名度があがっているのかと思うと、うぅむ・・・複雑。

 そういえば、最近、この自分も、「ジンバブウェ」の紹介をする最初のフリに、「最近新聞をにぎわせている・・・」とか、「最近、新聞でも取り上げられているので、お名前に記憶がある方もいらっしゃると思いますが・・・」という言い方をするようになりました。

 ちょっと違うぞ、と突っ込みを入れたくなる部分もありますが、ジンバブエ友の会の林本久美子さんの言葉を引用して、「・・・国際社会では国連が政治に介入すべきと言う意見もありますが、彼らは『ここは僕たちの国だ』と言っています。彼らのことは彼らに任せるしかないのでは?」という言葉におもわずうなづいていました。

 木曜日発行なので、もし駅で見かけたら、ぜひご一読を!(お)

DADAの『メディア・ウォッチ』、『事務局便り』のブログは、こちら→http://dada.txt-nifty.com/

DADAのホームページサイトはこちら→http://homepage3.nifty.com/DADA/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 5日 (土)

百聞は一見にしかず・・の続き

 昨日(というか、今日の深夜未明に)、百聞は一見にしかずとかから始まって、今の状況を実感できないとか何とか書きましたが、一夜あけて、ちょっと反省。というか、見えないものの中に大切なものをキャッチすることは、分野の違いこそあれ、皆さん、それぞれの「センサー」が働くんだと思うのですが、その「センサー」を、ちゃんと確かめていく作業って必要だなぁと思っています。

 その一つが、メディアなのかも。伝聞だけで書かれている記事とかよく見かけますが、それとて、自分の知っている分野だから、「あぁ、これは、伝聞だけで書いてるな」、とか、「ちゃんと原文(または現物)見てない・背景まで知らないで書いているな」とか思ってしまいますが、それは、知っている分野だから。自分の知らない分野だったら、「ふぅ~ん、そうなのかぁ」と思ってしまいますよね。

 100%ウソじゃない。でも100%真実でもない。そもそも100%の真実とかウソなんて、この世に存在しないのかもしれない。わたし達が見ているもの、読んでいるものは、事実の一辺でしかない。そこから、他の事実を想像するのは、わたし達自身に託されている仕事なのかもしれませんね。

 という長い前置きでした。ところで、皆さんは、何新聞とってらっしゃいますか?うちは、毎日です。

 その毎日新聞では、記者の方が、ハラレ入りして記事を書いています。毎日新聞のウェブにも載っていますが、新聞もぜひぜひ購読してください。いや、私は、別に、毎日新聞からお金もらってこんなこと言ってるわけじゃないんですよ。(むしろ、毎月4000円近く、購読料を現金で払っているし・・・・。) もともとA新聞で育った私で、他紙をとることになるなんて思いもしなかったのですが・・・。まぁ、それはいいとして、どうしてここまで書くか、

 というのも、日本の新聞では、どうしても欧米寄りの報道というか、時には欧米記事の受け売りか!?と言いたくなる記事が多くなりがちなアフリカ(ジンバブウェ)報道の中で、毎日新聞の記事は、ちゃんと取材して書いているという印象があるので・・・。

 先に書いた「センサー」だけでなく、「百聞は一見にしかず」ということを実践できる人ってそんなにいないんじゃないかなと、思いながら、いつも記事を読んでいる私です。こうした記事への評価があがれば、他紙も、変わっていくのでは?と思ったりもします。まぁ、1、2年で変わってしまう役所みたいな人事だと難しいかもしれないけど・・・。

 あ、このところ、載っているジンバブウェ記事は、昨日書いたような、平和の話は出てこないですよ。でも、今日の記事みたいに、緊急の事態、追い出されて森に逃げるというような事態でも、助け合っている人はいるんだということに、かすかな望みを抱きます。早く政治的解決がなされるように、念ずるだけの日々です。(お)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ジンバブウェ批判の中で感じていること

 このところ、ブログに書く記事のソースが、新聞とかネットというのが、心苦しいのですが、今日もネットねたから。もっとも、ジンバブウェの情報が、東京の調布の畑が見える部屋で手に入るというのも、時代だなぁとしみじみ思いますが。あ、記事については、一応、出所があきらかになっているものは、そこまでたどり着いて、原文を読んだ上で書いていますからご安心下さい。

 なんで、そんな言い訳めいたことから書き始めたかというと、百聞は一見にしかず、という言葉もある一方で、見たことしか信じられないというのは、想像力が欠如しているという見方もできるわけで・・・。だけど、噂を信じてしまうということもいえるわけです・・・。

 正直、今、ジンバブウェの中で起こっていることの恐怖を、私は実感することができません。こんなことを書くと、非情だとか、何をのんきなことを言っているんだ、とかお叱りを受けそうですが。(そして、そのお叱りはあえて受けようと思いますが)、でも、やっぱり見ていないことは発言できないのです。

 暴挙がウソだとは言いません。あぁいうことが起こりうるだろうとは、思っています(いました)から。でも、自分の中で、その恐怖を一緒に感じることは、今の自分にはできない。私がつい1ヶ月前に見てきたジンバブウェは、少なくとも、私がすごした村は、暴力沙汰とは無縁のところでした。

 だけど、今の状況だと、ジンバブウェの暴力に対して何か叫んだり、非難したりしないと、なんだかいけないみたいな雰囲気になってしまいます。おそらく洞爺湖サミットでも、(イギリスは、待ってましたとばかりに)、ジンバウブェのことを話題にするだろうし、”市民社会”でも、ジンバブウェのムガベ政権批判を展開するんだと思うのです。

 そうした動きを否定するつもりも、拒絶するつもりもないのですが、平和な村を見てきた自分が、なんだかいけないことをした、大きな間違いを犯してしまったみたいな気持ちにさせられてしまう。極端に言うと、平和がいけないみたいにまで私は感じてしまう。私が勝手にそう思っているのか、でも、私にそう思わせてしまう(なんかえらそうな物言いですいません)この異様な(日本の)雰囲気ってなんなんだろうって思うのです。これが市民社会の持つ「正義」で、これこそが、世の中を平和にする力なのかもしれないのですが・・・。

 6月28日にムビラ・サミットというイベントに出させていただいた時のことを事務局便りのブログに書かせていただいたので、読んで下さった方もいらっしゃるかと思いますが、ムビラサミットで、暴力沙汰の報告があった時に、平和な村の話をするのに躊躇する自分がいました。なんだか、引け目を感じてしまう、という感覚でした。

 いやぁ、個人的な感情をあまりブログでは書かないようにしているんですが、つい、これだけは、1週間経っても消えないので、ぐだぐだと書いているんですが、この批判の渦の中で、胸の中にふつふつと浮かんでくるものがあるのですよ。それは、

 平和な村もあって、そこでは、人がぼーっとしてるわけじゃなくて、一所懸命、汗水流して働いて、日々の暮らしを送っているということ。それを、ちゃんと胸張って言わなくちゃいけないんじゃないかって、思っているんです。

 だって、どうして、こんなことが起こるのか。もちろん、権力による圧力で民兵とか若者とかが動くのですが、でも、彼らの生活が安定していたら、ここまで権力に扇動されるだろうか・・・とも考えてしまうのです。

 だから、・・・・うまくいえないんですが・・・・、平和なニュースを流して、暴力の事実を隠すという意味じゃなくて、暴力の連鎖、恐怖の連鎖を断ち切るのは、逆の平和とか、日々の普通の暮らしのイメージをもっと固定化させるということに尽きるんじゃないかと思い始めているのです。

  今のBBCをはじめとする報道(いや、BBCには言いたいこと山ほどあるけど、まぁ、一応。)をどうこう言うつもりはないし、それに呼応して動く「政治」や「市民社会」も、そうあるべきなんだろうとは思うのですが・・・・・。

 すいません、なんか、これ書き出すと、きっときりがないくらい、長くなってしまうので、これで止めます。「ねっとネタから」と書いたくせに、そこまでたどり着きませんでした。ごめんなさい。

 続きは、またちょっと自分が落ち着いてから。

 明日は、午前中に、メディアリテラシーの講座@地元に行き、午後、先輩のコンサートに行くので、次の更新は日曜日になります。(お) 

 

| | コメント (0)

2008年7月 2日 (水)

ジンバブウェの選挙法

 6月29日に、「速報重視の報道」というタイトル(カテゴリー:メディア・ウォッチ)で、”Operation HandigoniKuvhota" = "Operaton I cannot to vote"という作戦が展開されたことについての報道のことをお話しました。

 これは、目の見えない人や字がかけない人には、投票時に補助がつくことを使って、与党関係者が、無理やり、有権者をそうした人たちにみたてて、投票を補助し、実際には与党への投票を強制しているというレポートだったのですが、それは、選挙法でどう規定されているのだろうか?という自問自答をして、調べてきます、といったままでしたので、調べてみました。

 選挙法の59節と60節に、それぞれ、字のかけない有権者の投票、身体的に投票が困難な有権者に対する規定が書かれています。それによると、「しかるべき担当官(オフィサー)が、ZECの職員か、選挙監視委員2名の立会いのもと、有権者の意思による投票を、アシストし、代行する(=投票用紙にマークをすること、投票箱に投函すること)ことができる」と原文ではされていました。

 原文では、といったのは、今年になって、一部改定があり、両節のこの部分の、2名の立会いのもと、という箇所に、「ZECの職員か、選挙監視委員、勤務中の警察官の2名の立会いのもと」というように変更になっています。さらに、この下線の部分には、注釈がつけられており、注釈によると、

 SI43/2008によって挿入されている、(期間限定の改定ーー2008年9月13日の深夜までとする)となっています。今年になっての改定のようです。

 いや、注釈をつける気分ではないので・・・・。ジンバブウェは司法はしっかりしている(いた?)と、新聞とかを見ていて常に思っているのですが、司法は、法律をもとに検討されるものですから・・・。

 次の更新は、金曜日になります。AUやSADCの選挙監視オブザーバーの発表を報告します。(お)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月29日 (日)

速報重視の報道

 ジンバブウェの大統領選挙・決選投票ですが、27日に、予定通りにおこなわれたようです。

 各紙がすでに伝えていますが、投票率はかなり低いという情報です。(ただし、ハラレが中心の報道)

 アフリカの新聞と提携していて、国・イシューごとに検索ができるAllAfricaComというウェブサイトがあるのですが、そこでは、(27日が金曜日で、土日と週末になったため)主にラジオのニュースが中心になって、選挙のレポートがあがっています。

 27日のSW RadioAfricaという放送がありますが、そこでは、”Operation HandigoniKuvhota"="Operaton I cannot to vote"という作戦が展開されたとしています。これは、目の見えない人や字がかけない人には、投票時に補助がつくことを使って、与党関係者が、無理やり、有権者をそうした人たちにみたてて、投票を補助し、実際には与党への投票を強制しているというレポートでした。

 ニュースは、それだけで、他の内容に移っていました。そういうことは、本当に起こっているかもしれませんが、実際に、その際、選挙法は、そうした補助をどのように規定しているのか?誰でも補助ができるのだとすれば、これは違法行為ではないことになりますし、決められた人しかできないのであれば、明らかに違法行為です。そうしたことに選挙管理委員会(ZEC)は、何も言わなかったのか?など、解説は何も付け加えられていません。

 また、SADCが600人の選挙監視オブザーバーを派遣していますが、オブザーバーは、その場にいたのか、いなかったのか?(選挙区全てにオブザーバーが配置されるのは難しいかもしれませんが)、あいまいなままでの情報に終始しています。

 もちろん、ジャーナリストの入国が極端に制限され、地元のジャーナリストの逮捕も相次いでいる中、情報提供する人の人数も、提供者の言葉も少なく・ぼかしていることは想像できます。しかし、いち早く伝えることだけが、ジャーナリズムの役目なのか?一つの事象の説明があまりに短絡的に書かれていて、なんとなくふに落ちない気がするのはわたしだけでしょうか。もちろん、ウソを書いているとは思いませんが・・・・。

 こんなひどいことが起こっているのに、そんなさまつなことを言うのか?とお叱りを受けそうですが、ちょっと気になったので・・・。選挙法の中で、文字が読めない・かけない人などの補助はどうすることになっているのか、私も、調べてみます。(お)

| | コメント (0)

2007年5月 8日 (火)

ジンバブウェ報道

AZTRECのスタッフのネルソン氏と話をしていた時、ふと、彼が、「ジンバブウェってどんな風に報道されているの?」と聞いてきた。私が来る直前に読んだ毎日新聞の記事(避難民が出ているなどなど)をかいつまんで話したら、「皆、この国はひどい国だって思ってるんだろうね」とためいきをついていました。

(記事ではAUもジンバブウェ政府を批判したとかいうことだったが、)「SADCはムガベ(大統領)を支持している。ムベキ(南アフリカ大統領)もチャンギライ(この国の野党第一党のMDC党首)と大統領との仲裁にはいると言っているし」。

「ひどい状態なのは、ハラレだけだよ。いや、ハラレだってほんの一部、ハイフィールド(注:3月11日に野党を中心とした集会があり、参加者が警察に暴力をふるわれた場所)くらいで、あとは全然平和なのに・・・。君だって知ってるだろう?」と言い出しました。

彼に言わせると、この間、南アフリカのリンポポから人が来たらしいのですが、その人たちの話によると、土地をまだ返してもらえていない人が大勢いるとか。政府が土地返還を命じているのに(白人)農場主は抵抗して彼らはその地域に戻ることができないでいるとのこと。「あんな怖い国と比べたら、こっちのほうが全然いい。ずっとここで暮らせたらいいなぁって彼らは言ってたよ」。

南アフリカの土地制度・返還の状況は詳しくはわからないし、そのリンポポから来た人の話の伝聞だけでは、実態がわからないので、ここでは聞き流すことにしました。(農場主が抵抗しているというのは、まだ裁判所の最終判決が出ていないからなのか、それとも、農場主がうでづくで抵抗しているのか等等、不明瞭な情報が多いので)。

話のあと、ちょっと思う。彼(ネルソン)の言ってることは全然間違っていない。
でも、あの新聞記事もうそじゃないんだよ。どっちもほんとのこと。

ほんとのことなんだけど、新聞記事に、このシャシェののんびりした記事ってでないんだろうなぁ。ほのぼのとした記事が出ることは確かにあるんだけど、大概は、紛争とか貧困とかの中での人々のけなげな努力とか、希望とかっていう風に設定されている。まぁ、それは宿命みたいなものだから、しかたないかぁと思ったりもする。

2月にアフリカ報道のジャーナリスト座談会を企画したのだけれど、その当日配布資料の前文に、こんな文章を載せた。

「悲惨でなければニュースにならない、と悲惨なニュースを見るたびに自嘲的に感じることがあります。でも、悲惨なニュースほど伝えてもらわねばならないのです。アフリカに悲惨な状況がある限り、ニュースは日本に流れ、益々アフリカのイメージを固定させていく。
報道の問題ではなく、アフリカの問題であるのですが、それだけではないはずと声を大にして叫びたい衝動に駆られます。

だけど、今、あらためて思う。
アフリカで紛争がおきているのに、報道されない状況のほうがずっといやだ。起きてはならないことが起きている、無意味に殺されている人がいるっていうことは、絶対に伝えてもらわないと困るのだ。

まぁ・・・、でも、やっぱり、ジンバブウェの(大統領の蛮行みたいな)報道とかを読んでしまうと、「はい、そうですよ、その通りですよ、でもねぇ・・・」という気持ちは否めない。そんなのばっかり報道されるのもつらいが、何も報道されないということがイコール平和ということではないというところがもっとつらいんだよなぁ・・・。

なんか、どうどうめぐりになりそうなので、今日はこのへんで。

DADAのトップ頁に戻る→→http://homepage3.nifty.com/DADA/

| | コメント (1)

2007年5月 1日 (火)

4月26日 突然ですが、アメリカ関連の記事を読んでジンバブウェを思う

更新一回目は、4月26日の飛行機の中&南アの空港で書いています。
まだ、ジンバブウェに到着していないので、アフリカとはちょっと違った話題で。

4月中旬にアメリカで起こったバージニア工科大学での射殺事件ですが、関連報道が、新聞や雑誌、テレビでずいぶんとありましたから、ほとんどの方が記憶に残っているかと思います。その中で、私が特に印象を覚えた記事は、4月21日の朝日新聞の記事でした。(今、手元にその記事がないので、朝刊なのか夕刊なのか、何頁だったのか、ちょっとうろ覚えなのですが・・・)

ニューヨーク支局の江木慎吾さんという記者さんが送ってこられた、AP電のカラーの写真が着いていた記事です。同大学で追悼式のようなものがあった際の記事で、犠牲者の数の石をならべて追悼の意を示すというものだったのですが、読まれた方はいらっしゃいますか?

見出しに、32人という犠牲者の数が使われており、並んでいる石がアップで写っている写真も掲載されていました。そのキャプションでは石の数が33個と書かれていて、あれ?と思って記事を読んでみたのですが、犠牲者と、今回の事件の犯人でもあるチョ容疑者も含めて33人の死者の弔いをおこなったと書いてありました。

たとえ彼が殺人犯であっても、失われた命に対する弔いとして33番目の石が並べられる、そういうことができる社会がアメリカなんだと。

それだけの記事なのですが、こういう何気ない一瞬のことで、アメリカの精神の深さ、複雑さ、厳しさなどが感じられる記事でした。

アメリカでは、今、銃規制をするべきvsだから銃で身を守らなくてはならないという議論が出ているとか、他にも色々な記事がありますが、こういうアメリカの一面を見る時、アメリカはひとつではない、とあらためて思わされます。

ところで、この記事の情報元というかニュースソースは、AP伝のようです。ということは、全世界のどこででも、契約していれば読めるわけで、駐在のいない新聞社でも、この原稿を読んでいるはずですよね?

その中で、この記事を送らなきゃ、と思うのは、やはり、駐在していて、アメリカの色々な面を見ている記者さんだからなのでしょうか。そういう意味でも、やはり現場にいる、という意味は大きいんだなとあらためて思いました。

メディア・ウォッチのブログがないので、アフリカ頁に書いてみました。
次回は、ジンバブウェからのレポートです!

| | コメント (0)