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2011年6月 9日 (木)

夜のとばり

夜のとばりCa3c01072

 夜のとばりが降りるという表現がありますが、肌(というか目)でそれを感じたのは初めてかもしれません。

 画像でうまくお見せできないのが残念なのですが、夕焼けになって、陽が沈んでいくとき、明るさもだんだんと地平線におりていくと同時に、光の境界線の上に薄闇の幕が下りてくる。

 幕は二段とも三段にも見えて、幾重にも薄闇~夜~闇が順々に濃くなって降りてくる・・・そんな感じの空です。

 そして、薄闇の上のほうに、星が顔をだす。あらためて気が付くのは、何もなかったわけではなくて、昼間もいたんだけれど、明るい中、隠れていた星たちがあらわれてくる・・・・。

 特別なことではない、いつもの風景なのだとは思うのですが、村での追悼式を明日に控えた夜の、みごとなまでの一日の終わりの演出に思えました。

 完全に闇があたりを支配したあと、私たちが泊まっている宿舎の道路を隔てて向かい側の広場には、男性たちが集まり、酒を酌み交わしながら、夜通し太鼓をたたき、歌を歌い続けていました。

   それはまるで読経のように私の胸に響いていました。

 仏教ならば、霊が迷わずにあの世にたどり着けるように線香の火をが絶やさず、さびしくないように読経を唱え続ける。その煙と人々の声に乗って迷わずにたどり着けるように・・。この国では仏教は信じられていないけれど、人々の思うことは同じなのではないか。人々がゴネセ氏の魂を弔うために夜通し歌い続けているようでした。

 外国人であり、ゲストである私たちは、そうそうに休ませてもらいましたが、3枚も用意してもらった毛布につつまれてまどろみながら、歌をずっと聞いていました。

 そういえば、その晩は、人工的な音、電子音のような音が何一つ聞こえませんでした。今ではバスもとおり、以前と違って(特に今回は送迎を手配していることもあり)、車の音や携帯電話の「ピー」という音もあるはずなのに、その夜はとても静かでした。

 追悼式の報告は、また書きます。

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