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2009年9月

2009年9月 3日 (木)

座談会のこと

 30日に開いた座談会ですが、参加された方のうちのお二人が座談会のことをそれぞれご自身のブログに書いてくださいました。あふりかくじらさんハヤシエリカさんです。(お二人のブログから来られた方は、同じ内容を読まれることになったかも・・・)

 皆さんも書かれていますが、ジンバブウェの誰に会うか、どこに行くかで、見えてくるものは全然違いますよね。去年の選挙の暴力騒ぎの頃、コレラ騒ぎの頃、報道からみえてくるジンバブウェは、自分が実際に見たものとはまったく、100%、180度異なるものでした。

 実は、去年、暴動とか選挙のことが日本でも話題になっていた時期、偶然、ジンバブウェのことを話しする機会があって、私と別の方とがいたのだけれど、その方の見たジンバブウェと自分の見てきたジンバブウェ(同じ時期にジンバブウェに二人ともいたのです)とは、あまりに違いすぎて、言葉を失ったのを覚えています。

 それから、都会の”悲惨な”状況をよそに、田舎はのんきでいいよね、と言われるような気がして、ジンバブウェのことを人に話すことがちょっと怖くなった。私はなにか大切なこと、肝心なことを見ていないのではないかと思うようにもなった。

 私はニュースを追う新聞記者ではないし、人権問題を扱う活動家でもない。報道されたようなことが起こっている事実は悲しいし、とても重要で伝えなくてはならないことなのだけれど、見ていないこと、ネットで調べたニュースの受け売りを、私の報告の中の一番にすることはできない。私は私が出会っている人たちのことしか話せない。そう自分に言い聞かせられるまでに、ちょっと時間がかかってしまった。(今でも、まだ明確に自分の伝えるものはこれ!とは言い切れないのだけれど)。そのことを、会報も1年以上出せなかった言い訳にはできないけれど・・・。

 でも、知らないことは知らない。見ていないことは見ていない。そして理解できないことは話せないのです。

 私の見ているジンバブウェは確かにジンバブウェの一つだけれど、全てではない。だとしたら、その「事実の一辺」を集めてみたらどうだろう。それでもすべてにはならない。けれど、少しはジンバブウェが、あの国で生きるひとたちが、少しは立体的に見えるんじゃないか。そう思って、(自分が知りたいのが一番なんだけど)、座談会を開くことにしたのです。

 来て下さった皆さん、本当にありがとうございます。そして、座談会参加したいけれどジンバブウェに行ってしまうので(!)参加できませんと言って、会報に原稿執筆を快諾してくださった若い研究者の方もありがとうございます(ご紹介は次号会報で)

 どこまでジンバブウェが伝わるか・・・。それは私の編集の腕しだい???3時間の座談会、テープ起しには気が遠くなりそうですが、がんばります。(もちろん、テープ起しボランティア、大歓迎ですよ~)

 個人的な気持ちは書かない主義のブログなのですが、すいません。 (お)

 <追伸> 座談会とは別ですが、ジンバブウェに住んで長い音楽プロモーターの高橋朋子さんのブログ(ジャナグル=明るい月)も先日ジンバブウェに帰国(?)され、さっそくブログを更新されています。こちらもご覧下さいね。

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