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2008年12月22日 (月)

コレラの報道で考えたこと

毎回のことですが、こちらに来てブログをっ書き始めると、知人・友人にブログのお知らせを流します。
中にはメールをくれる友達がいて、日本での報道とこのブログの「のんきさ」とのギャップに戸惑っている人もいました。

そうしたメールを見て思い出したのが、阪神大震災があった1995年、マリ人のNGOスタッフが、こちらの団体の招聘で来日した時に話したことです。

震災が起こったとき、世界中にニュースが流れたそうで、テレビの映像でそれを見ていた彼の息子が父親に、「日本はもう壊れてしまったから、日本に行かないで」と泣いて止めたそうです。

彼は、このエピソードを紹介しながら、苦笑いしていましたが。地震も、鳥インフルエンザも、コレラも同じように人に伝わるんだなぁと思いました。

これまでも、書きましたが、コレラでは死なないと言われています。つまり予防できて、治療できる病気なのです。でも、人が死んでしまう。
今、もともと栄養状態が良くなく抵抗力が少ない身体に、コレラという病気が入り込んで、人をより衰弱させるのだと思います。

コレラの感染地域で住む人、コレラの患者が家族や近所にいる人、そしてコレラに感染してしまった人たちにとって、コレラは、本当に深刻です。
そうなったら、自力ではなく、他人の力を借りるしかない(医者や投薬も含めての意味です)。

だけど、コレラは全土を覆っているわけではない。
いま、感染率が上がっているチェグツや最初に報告のあったチトゥンギザというハラレ近郊の地域は、私の感覚で言えば、ハラレが東京だとすると、川崎あたりの距離の感覚です。
川崎というと、例えば大田区の付近の人は、ものすごく近いと思われるだろうし、調布も川向こうですぐという感覚。でも、東京の東や北に住んでいる人にとっては、ちょっと距離がある。
そして、東京に通勤・通学、または東京を素通りして首都圏各県に通っている人が大勢いる・・・という距離感です。

コレラの報道は、国内でも毎日流れるし、感染地域と言われている場所以外に住んでいる人も、万が一に備えて、できることは全てしている
 (前にご紹介したミルトンを買い込んだり、手を洗う、水や料理は必ず煮沸するなど・・・)。
もちろん、それができる人と出来ない人に分かれてしまっているのは悲しいことですが。

だから、医療支援は必要だけど、でもだからといって、ジンバブウェが何か危ないところだと思ってもらいたくないなぁと、常に思うわけです。
まぁ、こういう状況になったら、どこの国も同じで、報道とか理解というのはそういうものなのかもしれないですし、
ニュースは外国に流してもらわないと、支援の手も迅速におこなわれないので、報道は必要だと思いますが・・・。

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