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2008年12月19日 (金)

シャシェ村報告

多品目栽培の力

 シャシェ村に行って来ました。DADAの在京スタッフへの報告が済んだので、ようやくブログに手をつけられます。

 この5月に収穫ほぼゼロだったジムト村へは、事情があって、来週まで延期になりましたがまずシャシェ村の報告から。

 出発前のブログや、8月発行の会報で触れたように、去年のマシンゴ地域の雨季は、11月は順調だったのに、1月にはいったとたんに雨が止んで、あとは一滴もふらないという状態でした。逆に大雨だった地域もあって、国全体の収穫量ががくんと減ったのが今回の食糧不足につながる一因でもあります。

 マシンゴの場合、春(3-4月)の収穫は、ジムトやネリピリ、ネマルンディといった、ハラレロード(R1)をはさんで東の地域はほぼ壊滅状態だったのに対して、シャシェ村では、農民によって差が大きくでました。

2006-2007年の雨季(農繁期)
 もともと、その一年前の雨季が変則的でした。通例だと、1月に雨が止まるという中休み期間があり、この期間がどのくらいで収まるかというのが、収穫に大きく影響するのですが、2006年から2007年にかけての雨季では、1月の中休みが長すぎて枯れてしまった作物(特にメイズ)が多かったのです。でも、幸いにして、シャシェの一部の人たちは、共同で遅れて蒔いたソルガムが、2月過ぎて降った大量の雨で実り、2007年の食料を確保できたという経緯がありました。

2007-2008年の雨季
 そんなことがあったので、2007年~2008年は、種まきの時期を遅らせる人も出たのですが、それが皮肉にも災いして、遅めに蒔き始めた人は、1月で終わってしまった雨では間に合わず、収穫がほぼゼロの農家も出るという状態だったのです。

シャシェとジムトの差
 シャシェは、保湿の良い土地で、雨が止んでも、ソルガムなどの少ない水でも成長できる作物が収穫できました。それに対して、ジムトは砂地で保湿力があまりなく、収穫がすずめの涙だった農家がほとんどです。今年(2008)5月は、収穫期から1ヶ月くらいしかたっていないにもかかわらず、食べ物がほとんどないというひとたちもいたほどです。ひとづてに聞いた話では、ジムトの場合は、欧米のNGOが食糧配給を担当しているという話ですが、どのくらいの量、誰に配られたのか、まだわかりません。

シャシェ村での農民による差

 ところで、シャシェは開拓村で、元々6つの白人農場(ファーム)だったところにあたらしく365家族が入植しており、AZTRECは、入植の際に、農業指導をおこなうために、スタッフも一緒に入植したという経緯があります。

 シャシェでは、他地域と同様にやはりメイズ(白トウモロコシ)が生産の主流を占めています。その中で、AZTRECの関係者たちは、ここ数年、メイズとソルガムやミレットの比率を1対1対1に移行するなどして、徐々に雑穀の作付面積を増やしてきました。それが効して、2008年の春は、豊作とはいえないまでも、一年家族が食べられるだけの量は確保できたのです。

食料がない。

 しかし、殆どのシャシェ村の人は、食料もなく、もちろん、種もなく、また、種を買う金もない状態です。彼らとしても手をこまねいているわけではなく、政府の配給を手に入れるために色々手をうっていました。この政府からのミリミリ(メイズを製粉したもの)は、無償で提供されるものの、南アとの国境であるベイトブリッジから村までの移送費(車とドライバー代。ちなみにガソリン代は政府もち)を村人が負担しなければならず、それを工面したが、ミリミリが届くまでにはまだ時間がかかりそうだという報告があったばかりでした。

 村でも、収穫があった人は、食用の穀物や家畜を売って収入を得ることが出来た人もいます。とりわけ、今年は国全体でジンバブウェドルの価値が下がり、米ドル化、南アランド化しており、村も例外ではなく、村人が南アランドを得るという状況になっています。

 収入があった農家であっても、ミリミリを町から買ってくるようです。これまで8年ほど村に通い続けていますが、町で売っている(おそらく南アフリカ産)ミリミリで作るサザを食べたのは今回がはじめてでした。(味が全然違うので、私でもわかりますし、村の人も、おいしくないとこぼしていました。)

 収穫があった農家でもミリミリを買っているのは、自分達の作った穀物を少しでも切り詰めて、種にまわすという配慮からのようです。食事にまわす穀物はすべて買ってくるというわけではなく、雑穀、町のミリミリ、雑穀と、量をみながら調整しているようです。

種がない

 AZTREC関係者は、メイズの種をのぞき、ほとんどの種を自前でまかなうことができたようですし、中には、OPVのメイズの種を守っていて、今年も巻くことが出来る人がおりました。
 他の人たちは、まったくない状態のようで、昨年DADAが支援して建設した穀物庫のあるセンターに、種をもらいにきている人が多いと聞きました。センターでは、とりあえず理由を問わずに種を提供しているようです。 また、スタッフの個人の畑にも種を求める人は来ていて、スタッフも自分の種をわけているとの話でした。
 種に関しては、町でも見当たらないという話です。(ハラレでは手に入るのですが)。店にあったとしても目が飛び出るような金額または外貨ということになり、一般の農民には手の届かないものとなってしまっています。(村の貨幣に関しては、また別の機会に)
 

2008-2009年の雨季は?
 今年のマシンゴは、これまでに3度雨が降っただけだそうです。ほぼ3週間ごとに降り、12月11日に降った3度目の雨は、大雨でしたので、翌日訪れたわたし達も水溜りを見たほどです。とはいうものの、三日月形のキャッチメントを作っているムジングワ氏によれば、キャッチメントで水が翌日までに残ったのはひとつだけで、しかもキャッチメントにつながる水路にはまったく水が残っていないとのこと。それだけ土が乾いているということですね。

 わたし達が訪れた時は、雨が降った翌日でしたので、村の人誰もが種まきに大忙しでした。4頭の牛を使って耕したり、種を蒔く人や、2等の牛をつかって蒔いた後に軽く土をかぶせる人など、牛の貸し借りをしながら、皆が多忙な日を送っていました。

 ここ数年、困難な状況が続いているシャシェですが、AZTRECのスタッフが、雑穀やOPVのメイズの種を大切にすることで、リスクを回避できていること、そして建設支援をした穀物庫が多少なりとも、役に立っていることを確認して、嬉しく思いました。

 とはいうものの、AZTREC関係者は別として、村全体では種に関して、かなり厳しい状況です。DADAでは、先週末にAZTRECの代表に会い、種支援の申し出をおこないました。現在、種の調達がどこまで可能か、代表の回答を待っているところです。

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