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2008年7月17日 (木)

マナ

すみません。次の更新は火曜日と書いておきながら、水曜日(しかももう木曜日の未明)になってしまいました。

IRINという国連人道調整局が発行している人道問題の報道と分析のニュースがあり、希望者には配信してくれます。昨日、届いたニュースのタイトルが、「天国からのマナ(マンナ)」というタイトルでした。(原文はこちら

マナ?キリスト教のあのマナ?と思って、読んでみたら、どうやらこの値上げの最中に、物資がスーパーに届けられたという話のようです。(まだ途中までしか読んでいないので・・)

それで、思い出したのが、宗教の話。
ジンバブウェのデータを読むと、宗教は、「部族宗教、キリスト教」(外務省ホームページ)と書かれています。確かに、多くの人は、キリスト教徒で、どこの家庭でも日曜日は、おしゃれをして、教会に一家総出ででかけます。

日曜日は、車の洗車をしていたわたし達でしたが、その横を通るときに、あいさつされ、「教会には行かないの?」とたいがい聞かれます。ここで無宗教だなんていうと、理解不能という顔をされて、また議論になりそうなので、大概は、
「自分の宗教の教会はこの国にはないから、家で毎朝お祈りしてる」とごまかしています。(まぁ、仏様というかご先祖様に毎朝ご飯を出すのと大して違わないと思うので)

とはいうものの、ジンバブウェの宗教はただのキリスト教ではなく、もっと奥が深い話なのです。

私のショナ語の先生だったCさんによれば、こちらの教会では、信者は「ビール禁止」なのだそうですが、その理由が、「ビールを飲むと、胸にある(閉ざした)扉が開いて、悪い宗教が顔を出す」のだそうです。教会にとっての悪い宗教とは、つまり、部族宗教のことです。まぁ、ライバルのことを悪く言っているのでしょうが、やはり、どこまでいっても、部族宗教を払拭できないということをわかっているのでしょう。

確かに、この国では、二重の信仰があって、部族宗教とは、「宗教」という名前でかたられますが、生活に密着している人びとの根底にあるものだと感じます。

たとえば、アンブヤ、(もともとの意味は、”おばあさん”)とよばれる、霊媒師、スピリットミディアムは、何かあった時に相談する重要な人ですし、ンガンガとよばれる、呪術師(アフリカン・ドクター)は、普段西洋のお医者さんにかかっている金持ちであっても、西洋の医術で治らないとなると、必ず、ンガンガのところに行くという人が多いようです。まぁ、日本でも、西洋医学に見放されたり、余命数ヶ月といわれた人が民間療法で治ったという話はいくつもあります
し。

知り合いに、ンガンガであり、司祭でもある人がいるのですが、彼の話はまた今度。

選挙直前に釈放されたMDCのビティ事務局長は、快方されたようで、先日南アフリカでの話し合いに出席した模様です。この件も、また今度。(お)

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アフリカと日本の開発のための対話プロジェクト
Dialogue & Action for Development Alternatives in Africa and Japan  (DADA)
トップ頁は、こちら→  http://homepage3.nifty.com/DADA/ 
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